大判例

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東京高等裁判所 昭和26年(う)1045号 判決

控訴人 被告人 池田重善

弁護人 長野潔 外四名

検察官 大久保重太郎関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役参年に処する。

訴訟費用は原審に於て証人坂根義雄、同長田満治、同柴田寅次郎、同鎌谷三次に各支給した分並に当審に於て証人鎌田三次、同原田八郎に各支給した分を除き第一、二審共被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は弁護人長野潔同満園勝美同小林清春同松本嘉市提出の控訴趣意書並に弁護人佐々野虎一提出の控訴趣意書に各記載されている通りである。之に対し当裁判所は左の通り判断する。

弁護人長野潔外三名の控訴趣意書第一点について

論旨は原判示第二事実につき、原審が「被告人が隊長として隊員の身体生命を保護すべき責任を有していたことは、被告人が隊長として冒頭記載の如き任務(即ち原判決が詳細に述べている如き蒙古側収容所長から委任された広汎な俘虜管理権を有し就中蒙古側から支給された食糧等を隊員に支給し、其の他隊員の保健衛生について指導監督する任務)を与えられていた事実よりして条理上当然之を認むべきである」と証拠説明したことに対し、斯の如き「条理上当然というが如き説明丈で他に何等の証拠をも採用しないのは証拠によらずして事実を認定したもので違法である。即ち公知の事実でない犯罪事実の認定は証拠によるべく、犯罪事実の認定に際しては法律に特別の規定あるが如き場合以外は推定を用いることは許されないものである。ところが本件に於て前記の如き推定が許される根拠はないと主張するのである。然るに犯罪構成要件認定に際し、法規に明文がなくても事実上の推定が許される場合があることは明瞭である。例えば盗賍品を犯罪日時、犯罪地に近接した日時場所に於て所持していて、何等有効な弁解並に立証を為し得ない如き場合窃盗犯人としての推定を許すが如きが之である。本件に於ては原判決は其の冒頭部分に於て「蒙古側の俘虜管理方法は万事蒙古側で直接管理することなく、俘虜隊長に対し、支給された食糧を隊員に与えて自活行為をすることを一任したのをはじめとして、隊員を掌握して隊内の秩序を維持し隊員の衛生に留意し以て命ぜられた作業をよく遂行するよう隊員を指導監督する任に当らせた」と認定したのみならず、被告人に対しては更に或る程度の隊員処罰権すら委任されたと認定しているのであり、斯様な広汎な俘虜管理権を委任されている以上隊員に対する身体生命を保護すべき責任は当然被告人に科せられていたと解すべきものであると判断したのであり、斯る推定は毫も経験則に反しないのである。しかのみならず被告人と同様蒙古に在つて俘虜隊長の立場にあつた原審並に当審証人長命稔、原審証人安西梯治の如きは「隊長は隊員の生命身体を保護すべき責任があつたと思う旨」証言し、原審証人石田鉄治(石田隊長)も亦「隊長の責任は旧軍隊の夫と同一であり隊員の身上につき責任をもつ」といつている位であり、之を要するに前記推定を許すべからざるものとする証拠は之を発見することができない。其の他にも此の点につき裏書きともなるべき証拠としては、例えば原審証人久木原峰俊によれば「俘虜集団に於ては旧軍隊の上官下官の関係はそのまま存在していた」ことがわかるし、其の他にも旧軍隊の体制がそのまま残つていた点が証拠上認められるのであつて、此の事は俘虜集団は旧軍隊と同一でないとはいうものの旧軍隊と同様の組織、規律が其のまま残存していた以上、斯る集団の隊長となることは事実上旧軍隊の隊長と同一の地位につくことであると観察されるし、被告人が隊長に就任する時も同様の考えであつたものと推察される。而してこの考が不自然でないことは原審証人白井正辰(復員事務担当官)の「俘虜は内地に帰つて来るまでは旧軍人の身分をもつているが、抑留国の指揮監督を受けているので、集団の責任者が抑留国から其の集団の指揮監督を命ぜられれば従来の法規で統率して行くのが自然ではないかと思う」という証言によつても了解できるであろう。又原審証人原田春男の証言によれば「被告人はバズルスルンから処刑につき注意をうけたとき之に対し質の悪い者を処罰しているときには日本人隊長としてやるのだから自分が責任をもつてやる。死んでも貴方に迷惑をかけないといつた」というのであるから、被告人が隊員の生命や身体に対する保護責任を自覚していなかつたものとは解し得られないのである。

次に論旨は同様原判示第二の事実につき「被告人が生存に必要な保護をしなかつた事実」と「其の為南雲道夫が処罰数日後営倉内で昏倒し程なく栄養失調全身凍傷により死亡した事実」間の因果関係については何等の証拠をも掲げていない。即ち若し前者なかりせば後者は発生しなかつたであろうという関係が実験則上認められるならば、斯る実験則の存在を証言又は鑑定によつて立証しなければ之を断罪の資料にすることはできない。然るに原審が右因果関係を証する証拠を取調べず又は斯る証拠によらず、たやすく両者間の因果関係の存在を認定したのは審理不尽若しくは証拠に基かないで事実を認定した違法があると主張するものである。然るに原判決の認定事実を詳細に検討すると、原判決は先ず「被告人は気温零下三十度前後に達する営倉内に栄養失調のため極度に衰弱している南雲道夫を拘禁し而かも擅に四日間食事を支給することを禁じ其の他生存に必要な保護をしなかつた」と認定したのであり、其の意とするところは重態の病人で生存につき保護を要すべき南雲道夫を拘禁したのみならず勝手に四日間の絶食刑を附加するが如きはそれ丈で重大な保護責任懈怠であるのみならず尚其の他にも生存に必要な保護を与えなかつたと認むべき点があるというに在るのである。而して如何なる点がそれに該当するかに関しては、原審は弁護人の抗弁に対し答えた判断中に於て、例えば予め医師をして診断加療させるとか、執行の延期方を蒙古側に懇請するとか、特に寝具防寒具等を支給するとかして病状の昂進や致死の結果に陷ることを防ぐべきであるのに、その何れの手段をもとらなかつた点がそれであるという趣旨の判断をしている。而して斯る事実認定を前提とする以上、被告人が病者に対する保護責任をつくさなかつたことが明瞭であつて、処刑後数日して南雲道夫が死亡し其の死因は栄養失調、全身凍傷であつたという出来事は、被告人が前記の如き責任をつくさなかつたことに原因すると認めて差支ないのであつて、特に鑑定其の他の立証にまたなければ其の因果関係の存在を認められないというべきものではない。記録を精査するも右因果関係の存在を否定すべき証拠を発見することはできない。即ち以上の点に関し審理不尽又は理由不備の違法ありとする所論は結局採るを得ない。論旨は理由がない。

右第八点について

刑事訴訟法第百九十八条によれば検察官は犯罪の捜査をするについて必要があるときは被疑者の出頭を求め之を取調べることができることになつており、被疑者は逮捕又は勾留されている場合を除いては出頭を拒み又は出頭後何時でも退去することができることになつている。而して一旦被疑者が右出頭を拒まず検察官の求めに応じて出頭し退去することなく取調を受け其の結果起訴された場合は、右取調を受けた土地は刑事訴訟法第二条第一項に所謂被告人の現在地となるのであつて、斯の如き場合に於て検察官の出頭の要求に応じて出頭し取調を受けた土地は被告人の真の自由な意思に基かず(強制に基いているから)裁判所の土地管轄を定める標準たる現在地とはいえないと主張することは許されない。何となれば法律が出頭せざる自由、出頭しても随時退去することの自由を保障しているのにも拘らず右権利を行使することなく出頭し且取調を受けた者に対しては、右法条は其の者が何等自由意思に強制を受けていないものであるということを予定しているのであつて、斯る場合に於ても尚且検事から呼出を受けた被疑者は一種の心理的圧迫を受けているから、そこには真の自由意思はないと論ずるが如きは右法条の存在理由を否定することに外ならぬのである。換言すれば本件は検察官の要求に基かないで被告人が自発的に住所、居所を離れて東京に現在していた場合に起訴された場合と法律上価値判断を異にすべき何等の事由もないと認むべく、勿論被告人が検察官から呼出に応ずることを強制され且取調に応ずることをも強制されたと認むべき何等の事由も発見できないのである。要するに被告人に対し東京を現在地として土地管轄権を認めたことに付何等不法の点はない。論旨は理由がない。

右第九点について

刑法第三条は所謂法律適用につき属人主義を宣明したものであり日本国民が外国に於て如何なる地位に就いていようとも日本国民たる身分を喪失していない以上適用があるべきものである。本件に於ては仮に被告人が外蒙の機関たる地位に於て為した行為であるとしても他面刑法第三条の適用を免れるわけにはゆかない。僅かに被告人が蒙古側の強制に基き自己の自由意思に基かないで本件行為を為さざるを得なかつた如き場合に於て後日我が国の裁判を受ける場合に於て責任条件を欠くとして有罪たることを免れ得る機会があるに止まるのである。論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 藤嶋利郎 判事 飯田一郎 判事 井波七郎)

弁護人長野潔等の控訴趣意

第一点原判決は証拠によらず事実を認定した違法がある。

原判決によれば、「被告人は――隊員の身体生命を保護すべき責任を担つていたものであるが――同人に対して四日間食事を支給することを禁じ、その他生存に必要な保護をしなかつたため、処罰数日後同人をして――栄養失調全身凍傷により死亡するに至らしめた」というのである。しかしながら、原判決の援用する証拠をもつてしては、右事実中の「隊員の生命を保護すべき責任を担つていた」との点及び「生存に必要な保護をしなかつたため栄養失調等により死亡するに至らしめた」との点を認めることが出来ない。即ち、1.「隊員の身体生命を保護すべき責任を担つていたことは被告人が冒頭記載の如き任務を与えられていた事実より条理上当然である」とせられているが、公知の事実でない犯罪事実の認定は、証拠によるべきもので、推定は特別の場合以外は許されないところである。しかして、推定の許されるのは、例えば刑法第二三〇条の二の如く特に法律の規定のある場合に限るのである。しかるに、原判決は被告人が隊員の身体生命を保護すべき責任を有していたことを認めるのに、被告人に冒頭の如き任務が与えられていた事実から「条理上当然」であるとして他に何等の証拠をも援用しなかつた。2.次に原判決は「被告人が――生存に必要な保護をしなかつた」事実と「南雲道夫が、処罰数日後営倉内において、昏倒し程なく栄養失調、全身凍傷により死亡した」事実については一応証拠を示しているが、この二つの事実の関係については、何等の証拠をも、かかげていない。この関係は即ち、行為と結果との因果関係であつて「生存に必要な保護をしなかつた」事実なかりせば「栄養失調、全身凍傷により死亡する」結果が発生しなかつたであろうとの関係が、一般に認められる場合でなければならない。この関係が実験則上認められるならば、かかる実験則が存在することを、証言又は鑑定によつて、公判廷に顕出しなければ、これを断罪の資料に供することは出来ない。原審が、被告人が「生存に必要な保護をしなかつた」為に、「南雲道夫が、栄養失調、全身凍傷になつた」との関係を認め得る証拠を取りしらべず、又かかる証拠によらずこの関係を認めたのは審理不尽若しくは証拠によらず事実を認定したことに帰する。

第八点原審は、弁護人の管轄違の主張を排斥した。その排斥の理由は刑事訴訟法第二条にいう「現在地」に関する従来の判例を踏襲したのみで、弁護人の主張に対する判断にはなつていない。弁護人は「いわゆる現在地は被告人の真に自由な意思に基く現在地であつて、聊かでも強制を加えたときは、現在地とはいえない。若しそうでないと、土地管轄の規定は有名無実となり、検察官は日本の如何なる土地においても被疑者を起訴することができることになる。元来土地管轄の規定は、被告人の利益のためにするのであつて、単なる裁判所の事務分配の問題ではない。刑事訴訟法第二条の規定は旧刑事訴訟法第一条の規定を平仮名口語体に改めただけであり、旧刑事訴訟法の下において昭和四年六月十七日大審院が「所謂現在地とは公訴提起当時被告人が現在する地域を指称し其の之に現在する事由の如何を問わざるものなれば、之が被告人の任意に出てたる場合なると否らざる場合なるとを分たす、尚も被告人の現在する地域が裁判所の管轄内に存する以上仮令被告人が検事の呼出を受けて出頭したるが如き場合と雖も、当該裁判所は土地管轄権を有する」旨判示されたことは弁護人も十二分に知つておる。しかし、この判旨は、新刑事訴訟法の下に維持すべきものではないと確信する。新刑事訴訟法の規定と旧刑事訴訟法の規定とは、形式的には同じ内容であるが、被告人の完全な人格を認めなかつた旧法の理論が新法の下に維持されるわけはない。新憲法の実施は、新法と旧法と同一の文句を使つておつても、実質的には変更されているのである。このことを端的に表現しているのは新法第一条である。刑事訴訟法は公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ事案の真相を明らかにすることを目的としているのである。長崎県に居住するものを東京に呼出すことが如何なる公共の福祉であるか。長崎県下から東京に呼出すことが被告人の基本的人権の保障を全うする所以ではない。と主張したものである。

然るに原審は「たとえ検事の呼出に応じて出頭しそのまま拘留された場合といえども同条によりその裁判所は土地管轄権を有する」と判示したに過ぎない。これは、独断的な結論を示しただけで、憲法の保障する人権を無視し、きわめて独善的な非民主的な態度であり、これに対しては更に前示の主張を維持しなければならない。裁判所は人権の最後の保障をなすものであるに拘わらず、最も人権を蹂躙する結果を招いたものである。原審が管轄違の裁判をしなかつたことは違法であり、原判決は破棄を免れない。

第九点原判決は弁護人の弁疏を排斥して「被告人の行為が蒙古人民共和国から任命された隊長の立場でなされた行為であつても、刑法第三条列記の各本条に触れる限り日本人たる被告個人の刑責は免れ得るものでない。」と判示した。しかし戦争は国家の正当行為であり、交戦国の一方が相手方人民に加えた行為は、国際法上批難されるのは別として、相手方の刑事法令によつて処断されるわけはない。被告人が交戦国の機関についたことの当否は別として、少くともその機関に就いた以上、その行為は当然交戦国の行為に外ならない。本件に於ける被告人の行為はどこまでも我が交戦国たる蒙古の行為であつてこれについて当該機関となつた個人の責任を問うべき筋合ではない。原判決は交戦国たる実情を無視したもので、その判断は違法であると信ずる。

(その他の論旨は省略する。)

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